文武両道とは中学や高校でよく言われるものですが、学生アスリートのみなさんにとってはなんか釈然としないものがあるのではないでしょうか?
「部活動に打ち込みたければ学業を怠ってはいけない」
「勉学を疎かにしない生徒はスポーツ面も優秀だ」
「学生なら勉強は当たり前。プラススポーツで人間性を磨け」
などと教員には言われ、一方で
「勉強なんて嫌い・無理」
「授業時間が全て部活になればいいのに」
そう思う生徒のなんて多いこと。
これにはひとつの誤解があるのですが、それはこの記事群を読み終えた時にわかることになるでしょう。
学生のみなさんはこういうやりとりを見ると、「なんか教員(親)に言いくるめられてる感じがするな」と思うかと思います。それは当たり前、論理的整合性がとれていないので説得力を感じないからなんです。だからますます勉強嫌いってなるんです。そうじゃない場合(勉強好きですでに両立ができている場合)はそのまま継続して頑張ってください。
教員なら数多くの学生を見てきているので、勉強を頑張る生徒がスポーツ面でも伸びることを、経験的に知っています。でも理由は説明してくれません。多分理由を本気で考えたことがないのでしょう。だから、勉強が出来る=スポーツも出来る、という美しい方程式を美しいエピソードでもって学生に伝えようとします。これが学生からしたらウザいんですよね。過去の優秀な生徒の話を美談化して語り継ぐという、不毛さ。ごく一部分を一般化するなという話です。でも、勉強を頑張る学生が相対的にスポーツ面でも伸びることはある程度正しいです。そのことを説明します。
ぶっちゃけ、勉強できることと、運動できることは全く別の才能です。文武両道とは、全く異なる才能をたまたま併せ持って生まれてきた人種を、学校教育という評価軸の中で持ち上げて美談化するテクニックです。
勉強できることと運動できることは社会の中でごく一面的な価値に過ぎず、文武の才に恵まれた人材でも、例えば恋愛が下手とか絵が下手とか音痴とか機械音痴とか、苦手なことはあります。社会では一芸に秀でるほど対価としての報酬を得やすくなります。また、複数の才能の意外な組み合わせで、思わぬバリューを生み出すこともあります。
参考↓
日本の受験では多重知性でいうところの論理と言語の能力しかはかることが出来ません。よって、論理と言語に優れた生徒が気合で暗記をガンバレば、良い学校に入学することが出来ます。大人たちは何人の生徒を良い学校に入れたかで見栄の張り合いをしていますが、全く不毛なことがこれでわかりますね。
スポーツガンバレば学校が有名になって教員ホクホク。
文武両道とは教員に最高に評価されやすい才能の組み合わせでしかありません。だから勉強も運動もできないからといって悲観する必要はありません。最終的に社会に評価されればいいので。
まず、学生の皆さんに肝に銘じてほしいことは
- 社会は学校より広く、様々な才能を受け入れる
- 教員(親)は美談化というテクニックで学生(子供)を思考停止に陥らせコントロールしようとする
- 自分で動機を見つけない限り、自分の本気は出せない
なんか怖いこと言っているよこいつ、と思わないでください。ここから皆さんに勉強の大切さを説いていく予定ですから。
まずは文武両道の成功例を見て行きましょう。
一番上は長年鹿島でCBを務めた岩政大樹選手です。彼は普通にセンター入試で学芸大に入学しプロからA代表までステップアップした猛者です。このキャリアだとFC東京の高橋秀人選手もそうです。
二番めは昔話題になっていた東大生Jリーガーです。岩政がファジアーノ岡山に移籍したことによる二人の邂逅が、日本サッカー界になにかをもたらすことに期待です。
三番目はバスケ選手で公認会計士の資格を取得した岡田優介選手です。ここを読めば、僕の記事をこれ以上読む必要はないかな。
答え言っちゃいますけど、3名に共通するのは
です。これがスポーツのパフォーマンス向上に直結します。長くなるんで次回に続きます。