昔のブログに「上手いとはなにか」について書きました。そのなかで、「頼りになる選手が上手い選手」という結論を出しました。その考えは今も変わっていません。
もう少し突き詰めて言うならば、上手い選手は「ただ神々しいまでに上手い」、それだけだと思います。
上手い選手と対峙するとため息つくしかありません。また、上手い選手がチームにいれば、なぜそんなに上手いかを理解するより、その選手をどのように活かして勝つかが最も重要な議題になります。対戦相手にいるならばどのように存在を消すか対策を練ることになります。
だから、なぜうまいのかということはあえて考えなくてよいのだと思います。僕はこれを考えることに4年近く費やし、その間チームの成長は止まりました。だから言えることなのです。なぜ上手いかを考えるよりチームのことを考えるほうが得策なのです。
〇〇ができるから上手い、上手い選手は〇〇ができる、昔は僕もそういう考えを持っていました。
しかし、実際試合をすると正対なんてできないのに結果を出すやつはいるし、懐全然使えないのに全然ドリブルを止められないやつとかもいます。
試合の結果に影響力を及ぼせる選手が「上手い選手」だとするなら、指導者やファンは自分の枠に当てはめた見方で選手を切り分けては行けないと思うんです。
上手い選手はただただ神々しいまでに上手い。ならば、僕らは上手い選手からサッカーを学ぶだけです。自分の知識や経験だけでは計れない、得体の知れないなにかを上手い選手たちは持っています。それを見つけるのです。
ただここで言う「上手い」は同一のカテゴリーのなかでしか通用しないものです。その選手が他のカテゴリーに移って同じような結果が出せるかどうかは誰にもわかりませんから。