サッカーはボールを足で扱うスポーツだ、という観点から言うと、最も重要な技術はシュートであり、次にドリブルということになります。実際はディフェンスやパスの練習に多くの時間が割かれるのですが、本質的にはドリブルとシュートが大事です。これらのスキルが高い選手がいなければ、チームの総合力はすぐに限界にぶつかってしまうでしょう。
「懐」は未知のドリブル理論です。根本的に従来の方法論とは異なっており、理解するにはこれまでに習得したことを一旦白紙に戻して自己否定するプロセスが必要です。そして、新たな視点を手に入れ、トッププレーヤー達を新しい目で観察し直してみてください。すると、全てのトッププレーヤー達が懐を駆使していることがわかります。
今回から17回に渡って懐ドリブルについて解説します。これがわかれば、鬼に金棒、懐を知らないあいつをこてんぱんにやっつけることも可能です。ぶっちゃけ僕自身がこの理論を小中学生の時に知りたかったくらいです。そうすれば、今だってあのライバルたちと引けを取らずに戦えてたのに。
しかし、ひとつ注意点があります。
これから書く情報の扱い方には十分注意してください。
というのも、サッカーの上達には言語が障害になることがあるからです。運動の習得は直感で行われます。そこに論理を介すると、習得が遅くなり、動作が遅くなる恐れがあります。例えば、極端な言語化は試合での判断力の低下に結びつきます。コトバで考えている間にタイミングを逃し、判断が遅くなるからです。
頭で考えるだけじゃなくて、
実際に体を動かして試す
ことを大事にしてください。体で覚えないと意味が無いからです。特に10代の選手は。
指導者はいいです。むしろ指導者は言葉で整理して理解しておくことが必要かもしれません。
では懐シリーズ始めます!!!
私と懐
一般にサッカーを始めてから2人目か3人目の指導者に出会った時が、「懐」という単語を耳にする最初の機会になるようです。高校生くらいになれば誰でも一度はこの言葉を耳にしたことがあるはずです。僕の場合は中学時代にそれがありました。
僕は中学校は普通の部活で顧問は専門外でしたので、部活の外に活路を見出しました。地域の高名な指導者と協力関係にあるという先生に出会い、彼の主催する屋内サッカー教室に通うことになりました。そこで「懐」に出会いました。
そこで教わったサッカーは今までの”フィジカル重視イケイケドンドンサッカー”とまるで違うもので、”間合い・踏み込み・体の使い方・奥行き・抜け・はさみ・・・”などの謎のワード連発で溶けこむのにかなり苦労しました。最終的には理解して懐もマスターしたんですが、ここで教わった懐は引き込む懐だけで、それだけをひたすら繰り返すようなサッカーでした。
もちろんこれじゃ高校では通用しないわけで、僕は高校でサッカーのスタイルを変更することを余儀なくされました。高校では止めて蹴る走る待つの徹底とつなぎのセオリーを駆使することで組織攻撃を学びました。それはそれで良い体験でした。
「結局は環境適応力が大事なんだ。自分は常に進化しなきゃいけない。そのためには過去の自分を思い切って捨てることも必要なんだ==>懐は意味なし」と結論づけて高校三年間は終了しました。
しかし、社会人サッカー始めて3年目、懐の重要さに改めて気づく瞬間が訪れました。これを応用すればあんなこともこんなこともわかるようになるではないか?!いろいろ理解が進みまくって、今までの経験が繋がりまくって知的興奮が収まりません!!本当にサッカー辞めなくてよかった、と心から思える瞬間でした。
あなたも知ってる謎ワード ”懐” その意味をこれから時間を掛けて少しずつ解き明かしてみせましょう。
そもそも懐ってどこから来た言葉?
懐の意味を調べますと、
ふところ【懐】
- 衣服を着たときの、胸のあたりの内側の部分。懐中。「受け取った金を―にしまう」
- 前に出した両腕と胸とで囲まれる空間。「横綱の―に入り込む」
となっています。一義的には着物の胸のポケットみたいな部分を指し、転じてその空間を指すようです。
右手が入っているところが懐
2の意味だと厳密な空間の境目はなく、大雑把にこの辺りを指すと思います。
この意味は古くは剣術、今は主に相撲で使われます。
相手の手が長ければ、相手の手は自分のまわしに届きますが、自分の手は相手のまわしには届きません。このとき「相手は”懐が深い”力士だ」と言うことが出来ます。
懐(ふところ)が深・い【懐が深い】
1 相撲で、腕と胸のつくる空間が大きく、相手になかなか回しを取らせない。
2 心が広く、包容力がある。「―・い人物」
懐とは体で作る空間のことで、体が大きければ大きいほど懐も深くなる、という理解でまずはいいと思います。このように懐とは相撲用語で、回しをとらせない巧みさを表す言葉であることがわかりました。
昔のサッカー指導者は日本の伝統的なスポーツである野球や武術から言葉を借りることが多かったようです。お年を召した優れたサッカー指導者に野球経験者が多いのは隠れた事実です。彼らは人並み外れて身体感覚に優れており、また言語感覚にも優れていたのでしょう。
語感を大事にすることで短い言葉でエッセンスを伝えきることが出来ます。説明し過ぎがコーチングの害になることを知る彼らならではの言語センスだと思います。当時まだ未開拓なサッカー指導業界を暗中模索した結果が、伝統スポーツからの言葉の流用でした。これはいたって自然なことです。
懐というメタファーを用いて技巧センスを褒め称えるなんて、日本人的美意識の詰まった運動哲学のように感じます。
技巧センスとは以下の様なものです。
銀河系集団の中のジダン(2003)
また、「懐が深い」の2の意味で「心が広く、包容力がある」とあります。日本人の美意識の中には奥ゆかしさがあります。開拓精神で未開の地をガンガン切り拓くリーダーより、人と人のぶつかり合いを隠れたところで機転を利かせて解決する縁の下の力持ちのほうが、日本の美的感覚にはマッチします。日本人のサッカーセンスを上手く言い当てたのがこの”懐”という言葉である気がします。
懐という言葉はセンスがいい者同士でしか通用しない、パスワードのようなものです。この鍵を解いて万人に理解できるサッカーのエッセンスを抽出してみましょう。
次→ラウールの懐
初めて投稿します。わかりやすい解説でちょくちょく勉強させてもらってました。
自分も一時期サッカーにおける身体の使い方を考えていたときに、中田英の動画から派生して、日本の相撲や武術などの身体の使い方を勉強したことがあります。
相撲や武術の体の使い方を取り入れることは、接触プレーやバランスを必要とするドリブルなどにとても有効なのではないかと思っています。
ひとつ例を挙げますと、中田英は相撲の動きを使っているのではと思えるものがいくつかあり、彼はよく腰から相手にぶつかっていると言われていましたが、
その後必ず相手のわきの下を取って押しています。
これは相撲では「かいな(腕)を返す」という基本的な動きらしく、腕を返すようにしながらわきの下を持ち上げると、自分より重い相手でも簡単に持ち上げることができます。
やってみると分かりますが、わきが開くと、肩の位置が上がり、肩の位置が上がると必ず頭の位置がずれて、体は均等が崩れて傾きます。
わきを閉じていわゆる三角筋にぶつけても耐えれますが、わきを開けてわき下に同じように当たると、簡単によろけます。
中田はこれを使うことで相手の体重を浮かし、そして浮いた状態で最後に自分の肘を伸ばして掌で相手のわきを押し切ることで、あのいかついふっ飛ばしをしていたのではないか。
中田の当たりに関してはまだ細かい点がいくつかあるんですが、自分が読んだ武術の著者は、昔の日本人、いわゆる侍や農民などは、現代人よりもはるかに体の使い方がうまかったと言及していて、自分も、それをサッカーの動きに落とし込むことは、日本人が一番体現しやすいし可能性があるのでは、と漠然とですが思っています。
長々自分の考えばかりですいません。(汗)
ただ、主さんがいう「懐」そして体の使い方についての分析は、日本人が海外の選手にフィジカルにおいて真正面から向き合うためにも、大切だと思っています。