プログラミングの才能と正しいサッカー思考法
まずはこれを読んでほしい、
要約すると
プログラミングには才能が必要らしい。いくら頑張っても理解できない人が一定数存在する。だからプログラミングできるということは選ばれし人たちが持つ才能なのだ。才能のない人にプログラミングを教えようとしても無駄だ。教える側も教わる側もいくら努力しようとも疲弊する。だから初めに才能の有無を確認してから継続的な努力を続けたほうがいい。
サッカーも同じではないだろうか。
効果的なプレーや効率よくゴールを目指すプレーには一定の法則がある。それらはテレビをつければ誰でも目にすることができるものだし、チームに所属していれば仲間の誰かしらがその法則に則ってプレーをしている。あるいはwebが発達した現代では無料でそれらの情報にアクセスすることもできる。
そのセオリーに気づかずにサッカーを続けている選手や指導者が本当に多い。あるいは他人の言ったことを鵜呑みにしてプレーしている人も多い。
なんでも自分で検証して正しいものを選りすぐって取り込んでいくセンスが必要だ。そのような姿勢でサッカーに取り組む者達は初対面でもしっかりお互いを理解し合える。しかし、そのセンスというものはもしかしたら生まれ持った素質に左右されるのかもしれない。
どのようなプレーがボールをゴールに近づけるのか、あるいは自陣のゴールから遠ざけるのかといったことを熟慮せずに、他人の発する言葉のみで思考回路を固めて組み立ててしまえば、正しいプレーの法則に近づくことは不可能だ。
サッカーの上達には偽ジンガやフリースタイルは邪魔だし有害だが、それを理解しようとしない人はかなり多い。
もしかしたらサッカーをプレーするうちの一定数の人たちはこういったことを理解できないのかもしれない。そのように解釈しないと、偽ジンガやフリースタイルがなくならない理由を説明できない。
世の中にはサッカーを下手にする情報にあふれている。それらにだまされないように気をつけないと、あなたやあなたの子どもたちの未来は危ない。
いつも読ませて頂いてます。
今回の記事についての反論です。
サッカーは多様性を許容すると私は考えてます。
どういう事かというと、シュートが上手い選手、ドリブルが上手い選手、トラップが上手い選手、パスが上手い選手、体力がある、視野が広い、戦術を理解して実践する等など。
その中に(偽ジンガ?何の事か不明ですが)フリースタイルもあっても良いと考えてます。
そしてサッカーの楽しさや奥深さはその多様性にあると考えてます。
とにかく、絶対無駄という切捨ては、サッカーを考察する上で危険な思考では無いでしょうか?
「地方クラブ、夢と希望の場に サッカー超えて挑戦」 日経新聞 岡田武史インタビュー
自由競争の中で変化に適応することが進化の本質なら(ダーウィン)、生き残ったスタイルには生き残るべき理由があり、淘汰されたスタイルを凌駕した秘密があるということです。
今回の記事も読ませて頂いたのですが、その問題は、その偽ジンガ、フリースタイルなるものを行っている方の責任ではなくて、サッカーを学ぶ方の責任ではないでしょうか。行っている側がそれで通用しているなら、その技術は、少なくともその人に価値のあるものだと思います。
正しいサッカーを選りすぐって取り込んでいくセンスに、才能が必要なかったら、ぜひ教えて頂きたいです。
追伸
守備がうまくなりたいです。
ちょうど守備的mfが好きなので良かったです。
ありがとうございました。