僕の中ではサッカーを思考すると言ったら2つの意味を指します。
ひとつはピッチの中で考えること。心拍150、時速8キロ程度のジョグをしながら(もちろん合間にジャンプやダッシュを挟みます)終始変化する敵味方の陣形を首を振って確認し、その中で次にすべきアクションを決定するための思考過程。ボール局面では敵味方の幾何学的なパターン認識はもちろんのこと、いくつかの分岐を基調にしたプレーイメージに対して3手先まで見通して、一つをキャンセルしたら別の分岐方向へ素早く深い読みに入り込める柔軟性。さらには敵味方の表情や息遣いを感じてゲームの流れを読み切る力。頭が朦朧とする中、絶対に負けてはならない一対一に直面しながらも、残り時間の使い方について思案する。これらを選手視点のサッカー思考と定義します。
2つ目はピッチサイドで考える事。ベンチに座って、(あるいは立ってみるほうがよく見渡せるのでそうするコーチは多いです)目を凝らさないとボールを見失ってしまうほど遠い逆サイドタッチライン際の攻防、選手が折り重なって位置関係がはっきりとわからない状況、刻一刻と過ぎる時計の針を気にしながら準備した交代カードを切るタイミングをはかり、相手ベンチの様子を感じ取って一度決定した決断を取り消したり、これらを頭のなかで常に俯瞰視に変換し次に起きそうなこと、また避けねばならない状況を予測する行為が指導者視点のサッカー思考です。
極論を言えば、これ以外の思考はサッカーの強化のためにはなりません。サッカーの現実を変える力はこの2つの思考法から生まれます。
まぁデータとか統計とか使用する場合はこの限りではありませんが、その場合でも最終的には正しいサッカー思考ができる人物との結論のすり合わせをするべきでしょう。
つまり、正しいサッカー思考を現在も行っている人かこれまで濃密に体験してきた人でなければ、日本サッカー界を導く提言はできないでしょう、というのが持論です。
この理屈で言うと、この体験ができる人物はとても限られてきます。選手思考なら10歳から30歳までの20年間、指導者思考ならその後の30年間しかありません。サッカー選手が指導者になる比率は1/30~1/50程度という体感ですから、指導者思考ができる人材は大変貴重です。また選手の場合、30歳以降になってもプレーできる人というのは極めて幸運と言えますし、ほとんどが18〜20歳くらいでプレーをやめてしまうことを考えると、10年以上プレーできる選手はそれだけで貴重です。上記の期間、フルにサッカー思考体験を積める人はプロ選手と同等程度の希少価値があるかもしれません。
これらの濃密な思考体験を通じて得られたエッセンスが、下の世代の選手たちに引き継がれるのに10〜20年。その間により現実に即した技術や戦術が体系化できるか、またそれらがうまく普及するかが強化の鍵です。
技術は時代を越えて生き延びます。技術は人から人へ伝染します。現在指導者として一線級の方々には大変失礼ですが、彼らの現役時代は日本リーグというレベルの低いサッカーしか体験できませんでした。
Jが産声を上げると世界中からスター選手がお手本となるべきプレーをその当時のチームメイトに伝承したはずです。J創世記の日本人選手はようやく最近指導者として頭角を現し始めました。ななみさんとかはまだだけど。ここまで来るのに何年かかっているでしょうか?それでもすごい進歩ですけどね。
現在の日本代表選手は欧州の厳しいリーグで揉まれています。中にはビッグクラブでプレーする選手もいます。彼らは誰に教わることなく自分自身で学んで向上して今の地位にいます。世界トップクラスの仲間から技を盗んで切磋琢磨しています。それらの美技は彼らが引退した後に僕達に公開してくれると信じましょう。
また今Jで引退間近の選手たちもものすごい高いレベルの技術体系を持っていると考えられます。これも彼らが指導者になったころに子どもたちに伝えられていくでしょう。
しかしそれはいつやってくるのか?4年後や8年後ではないことは確実です。
あせりすぎなんですよ、みなさん。